ティンプー(Thimphu): 人口約7万
5. 民族
ブータン人(チベット系)60%、ネパール人25%、アッサム系先住民など15%
6. 言語
ゾンカ語(公用語)等
7. 宗教
チベット系仏教、ヒンドゥー教等
8. 経済(単位 米ドル)(世銀資料2006-2007年)
1.主要産業:農業(米、麦他)、林業、電力
2.GDP:11.7億US$(日本:4兆3767億US$)
3.GDP成長率:19.1%(日本:2.1%)
4.失業率:3.1%(2005年、ブータン政府資料)
5.貿易:インドへの輸出が87.6%、輸入が83.2%(2005年度)
6.平均余命:65年(日本:82年)
7.5歳未満死亡率:1000人当たり70人(日本:4~5人)
8.インターネット普及率:100人当たり6.1人(日本:73.6人)
通貨単位はニュルトラム(Ngultrum: Nu)。補助単位として、チェトラム(Chetrum: Ch。110 Ch = 1 Nu)。1 Nuは約2.7円(2007年2月。地球の歩き方 ブータン '07-'08年版による。)。
9. 政体
立憲君主制(2008年に君主制から移行。)
10. 議会
二院制 (上院25議席、下院47議席)
11. 歴史
747年: ニンマ派の開祖パドマサンバヴァ(Padma Sambhava)がチベットからやって来る。伝説によれば、雌の虎の背中にまたがり、空を飛び山々を越えて来たとのこと。その後、タクツァン・ラカン(Takstana Lakhang)僧院等を建設。パドマサンバヴァが訪れた地は、今日、すべてブータン人の巡礼地。
12世紀末: ラパ(Lhapa)やカーギュ派(Kagyupa)が西ブータンで興る。
13世紀前半: デュルック派(Drukpa/カーギュ派の分派)が興る。
1616年: デュルック派のチベット人ラマ僧ンガワン・ナムゲル(Shabdrung Ngawang Namgyal)がブータンに招かれる。彼は、西ブータンの主な谷にゾン(要塞のような寺院付きの行政府)を作る。宗教的に厳正な政府と非宗教的な政府を合わせた国家体制を作る。
1639年: ンガワン・ナムゲルがチベット人との戦いに勝ちシャプドゥン(Shabdrung)の称号を得る。これにより、政治権力においても宗教権力においても、事実上ブータン初の指導者となって国を統一。
1864年:イギリス=ブータン戦争(ドゥアール戦争)勃発。
1865年:ドゥアール戦争に敗北し、イギリスとの間にシンチュラ条約を締結。イギリスからブータンに年5万ルピーが補助金として支払われることになる。
1907年:中央及び東ブータンを統制していたトンサの豪族(Penlop of Tongsa)ワゲン・ワンチュク(Ugyen Wangchuck)が西ブータンを統制していたパロの豪族(Penlop of Paro)に勝ち、ブータンの宗教、政府、人民の代表して再統一し、12月17日、初代国王となる。この王朝が今日に至る。
1910年:プナカ条約締結。1949年までイギリスの保護下に入る。 1926年:ジグミ・ワンチュクが第2代国王になる。
1949年:インド・ブータン条約調印。(これは、プナカ条約の相手方のイギリスがインドに代わった性格のもの。つまり、インドがブータンを保護領扱いする色合いがあった。)~
1952年:ジグミ・ドルジ・ワンチュクが第3代国王になる。
1964年:ジグミ・パルデン・ドルジ首相が暗殺される。
1971年:国際連合に加盟。
1972年:第3代国王がナイロビで死亡。ジグミ・シンゲ・ワンチュクが第4代国王になる。
1974年:第4代国王戴冠式。 初の団体観光客受け入れ。
1983年: カルカッタ・パロ間に航空路線開設、国営航空就航。
1986年: 日本と外交関係樹立。
1987年: 青年海外協力隊派遣開始。
1990年:南部居住のネパール系住民が国外に脱出。
1998年: 国王が自ら行政権を放棄し、立憲君主制に移行。
1999年:国内テレビ放送開始。インターネットの利用を許可。
2005年:ワンチュク国王、08年の譲位と総選挙・議会制民主主義移行を表明。
2006年:当初の予定をくり上げて、ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク皇太子が第5代国王に即位。
2007年:インド・ブータン友好条約締結。(対等の関係を確立。)
12月、初の普通国政選挙となる国家評議会(上院)選挙。
2008年:3月、普通選挙による国民議会(下院)選挙。4月、初の民選首相としてジグメ・ティンレーが選任される。7月18日、新憲法公布。
12. 内政
第3代国王は1952年の即位以後、農奴解放、教育の普及等の制度改革を遂行し、近代化政策を開始。1964年、地方豪族間の争いから当時の首相が暗殺され、またその後に任命された首相による宮廷革命の企みが発覚するに及び首相職が廃止され、国王親政となった。
第4代ワンチュク前国王は、第3代国王が敷いた近代化、民主化路線を継承、発展させるとともに、国家開発にも意欲的に取り組んだ。国王に対する国民の信望は厚く、内政状況は安定している中、2006年12月にはワンチュク皇太子に王位を継承。2008年、新国王の戴冠式が行われた。
前国王の指示に基づき、ブータンは本格的な議会制民主主義への移行の過程にあり、2007年12月に上院議員選挙が、2008年3月に下院議員選挙が実施された。これを受け、憲法草案に基づき、2008年4月、下院議員選挙において勝利したブータン調和党(DPT)のジグミ・ティンレイ党首が国王により首相に任命されたのに続き、新内閣が発足した。同年5月8日、新国会が召集され、新憲法等の法案審議が開始され、同7月18日、憲法が採択された。
ブータン南部地域では、アッサム州においてインドからの分離独立を主張する過激派組織(アッサム統一解放戦線等)が、ブータン領内にキャン プを設営するなど侵入していた。ブータン政府はこの過激派組織と交渉による問題の解決に努めてきたが、交渉が決裂し、2003年12月、過激派組織掃討のため同国南部における軍事行動を開始した。現在、この軍事行動は実質的に終了している。