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North-South Relations over the issue of the environment and development

The policies on the North-South relations for the environment and development build not only on the technical solutions of environmental problems but also on integration of the solutions of social, political and economic difficulties. It should also be well understood that aid is not the only relationship between the North and the South. There are many other modes of relationship between the North and the South, including global regimes where both the North and the South participate, bilateral cooperative arrangements, trade, and many other exchanges by a further growing number of actors, including Governments, national agencies, local governments, NGOs, researchers, citizens, private firms, economic organizations, the press, artists, athletes, etc.

Therefore development of the policies for the North-South relations must be based on various disciplines, including the principles of diplomacy, which used to be mostly intergovernmental affairs but in which various non-state actors have been playing critical roles, and effective solution of the environmental problems which requires integration of the environment into social, economic and political development. It must be based also on the reality of the regions, countries and the life of people to the improvement of which the policies must be eventually addressed.


Activities at Niigata University, December 2003 - March 2019 (mostly engagements in education)

Class at the Graduate School of International Development and Cooperation, Hiroshima University

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Books recommended

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お勧めの本
Books recommended


・Amartya Sen, 1999: Development as Freedom, 366 pp., Anchor Books
(2001年に、従来のAnchor Books版に加え、Oxford University版も出ています。表紙が異なるものの、内容は全く同一のようです。)
1960年頃、多くの植民地が独立して、世界の相当部分を開発途上国が占めるようになった結果、開発途上国の「開発」が国際的な課題として登場した時、「開発」とは、1人当たりのGNPを大きくすることだと、漠然と考えられました。
しかし、1960年代後半になって、開発途上国の1人当たりのGNPは大きくなったけど、お金持ちが更にお金持ちになっただけで、貧しい人は貧しいままであることが明らかになった結果、「開発」とは、1人当たりのGNPを大きくするといっただけのものではなく、社会の色々な側面を改善することであるとの認識が生まれました。具体的には、食料や栄養、保健・健康、安全な飲料水、衣類、住まい、初等教育等の重要性の認識が生まれました。(都市の労働者に関しては、「working poor」という、今の日本で問題として認識されているものも課題として認識されました。「ワーキング・プアー」とは現代日本の和製英語ではないのです。)
その発展型が、インド国籍でハーバード大学教授のアマルティア・センです。ノーベル賞も得た彼は、開発とは、食料や栄養、保健・健康、安全な飲料水、衣類、住まい、初等教育等や、古くから認識されている一定の現金(多くの物と交換できるという点で大変便利な手段である)に加えて、報道や言論の自由、民主主義などを含む幅広い意味での自由(freedom)の拡大こそが「開発」なのだと言っています。しかも、自由の拡大は、開発の目的であると同時に、開発の手段でもあるとしています。更に、開発において中心になるのは、個人が自分や自分たちの生活を良くする力(individual's capabilities to lead the kind of life that the person has reason to value)であり、「貧困」とは、そのような力が奪われている状態(deprivation of capabilities)であるとしています。その「生活を良くする力」には、健康であること、読み書きできること、一定の現金があること、自由に情報を得られること、他の人たちと自由に議論できること、政治に参加できること等が含まれるとしています。
この本には和訳も出ていますが、その訳には大きな問題があり、色々な混乱を生じさせてしまっているので、原文を読むことをお勧めします。(そもそも、この本の内容を和訳するのは非常に難しいと思います。)
         

・Charles P. Oman and Ganeshan Wignaraja, 1991: The Postwar Evolution of Development Thinking, 272 pp., St. Martin's Press (in association with the OECD Development Centre)

OECD事務局開発局の職員たちがまとめた、開発途上国ができ、その「開発」が課題になった第二次世界大戦後の「開発」についての考え方の歴史をよく整理した本です。アマルティア・センの考え方を含め、開発途上国の「開発」についての今日の色々な考え方の背景等について理解する上で、大変有益な本です。
全体をまずorthodox development thinkingとheterodox development thinkingに分け、前者について、初期の資本集積と工業化重視の考え方、次の時期の農業と農村に目を向けた考え方、その後今日まで続く経済・貿易自由化の考え方とbasic human needsの充足等の重視の考え方に整理した上で論じています。後者では、従属論とマルキシズムが論じられています。以上のような分類自体に相応の妥当性がありますが、各章の議論には、理論、実証研究、政策が示され、開発学の主要要素がこれらであることを示している点でも優れた著作です。
事実上絶版になっていたものがオンディマンド出版されるようになりましたが、発行当初にはUSD19.95だったのに、USD 39.95-45.00と、かなり値段が上がって来ています。米国のamazon.comには安い古本が出ています。


岩田正美『現代の貧困』、ちくま新書659、221ページ、2007年、735円

開発途上国の開発問題をやっている者も、日本人として、足元の貧困問題についても理解し、それを開発途上国や世界の開発・貧困問題の理解にも役立てることが望まれます。そんな問題意識を持って是非読むべき書です。
高度成長により、「一億総中流」とされ、貧困問題はなくなったと日本人は思い込んでいましたが、しかし、実際には、それに取り残された人たちがいたのです。路上生活者という目に見える貧困層の増大を受けて調査した人たちが、それを確認しています。そして、一流企業に勤めていた人が路上生活に転落したような事例の報道のため、路上生活者等の貧困層の実態が正しく伝わりませんでした。しかし、実際には、路上生活者等の貧困層のほとんどが、元々貧困問題に直面していた層であって、その貧困から抜け出すのが非常に難しい状況にあることが明らかにされています。
つまり、貧困層は、アマルティア・センの言う「貧困」の定義のとおりに、自分たちの生活を良くする力を欠いているのです。そして、現代日本の制度は、安定した企業に勤務し、世帯を持ち、一定の学歴を持つ総中流を前提としているため、それからはずれている人たちには、例えば社会保険料が払えないこと等により、非常に厳しいものになってしまっているのです。
また、社会からの疎外というのも、貧困問題の一部としてあることは、開発途上国の路上生活者、モンゴルのマンホール・チルドレン等にも共通の問題です。
更に、アマルティア・センの言う「開発」の中身かつ手段としての「自由の拡大」が、開発途上国ではお金のこと、教育のこと、情報入手・報道の自由、政治への参加、みんなで議論できること等、非常に幅広いものであるのに対し、そのうちの一定部分が不自由であるのが先進国の問題であることもわかるかと思います。


岩田正美『貧困の戦後史: 貧困の「かたち」はどう変わったのか、筑摩選書、2017年、本体価格1,800円

敗戦から現在までの日本の貧困の実態をとてもよく整理している。
敗戦と貧困、復興と貧困、経済成長と貧困、「一億総中流社会」と貧困、「失われた20年」と貧困

上条さなえ『10歳の放浪記』講談社文庫、2011年

こちらは代々貧困の人ということではありませんが、私よりも3歳だけ上の筆者が、10歳の時、一家にほとんど収入がなく、ガスを止められ、電気を止められ、そして家も追い出され、放浪した実体験です。自分が子供の頃には日本に貧困問題が無くなっていたと思い込んでいた者として、これを読むまでそういう人がいたことを知らずにいたことを申し訳なく思います。


<<エコロジカル・フットプリントを巡って: 2004年に出た和訳本2冊>>

池田真里(訳)・和田喜彦(鑑訳)、2004: 『エコロジカル・フットプリント―地球環境持続のための実践プランニング・ツール』、239 pp.、合同出版 (原著: Mathis Wackernagal and William Rees, 1996: Our Ecological Footprint: Reducing Human Impact on the Earth, New Catalyst Bioregional Series, 160 pp., New Society Publishers )
エコロジカル・フットプリントの概念が日本にも広まるよう、以前から早く出して欲しいと思っていた和訳本です。
エコロジカル・フットプリントは、特定の人間集団(集落、都市、国、全人類等)が消費に使う資源の量及び廃棄物の量を生産性ある地球の表面積に換算したものです。
次のところにある1人当たりのエコロジカル・フットプリントを国別に集計した資料と併せて読んでみて下さい。全人類のエコロジカル・フットプリントは、既に、生産力ある地球表面積よりも大きくなっています。それと国別の数字を合わせて見ると、大量生産・大量消費の先進国の人間が、開発途上国の人々の取り分に加え、将来の世代の取り分まで使い込んでしまっている実態がよく理解できます。
http://www.wwf.or.jp/activity/lib/lpr/index.htm(WWF日本: 日本語と英語)
http://www.panda.org/news_facts/publications/living_planet_report/index.cfm
(WWF 本部: 英語)
(原書とともに、公費で購入し、新潟大学図書館に引き渡しました。)
・塚田幸三・宮田春夫(共訳)、2004: 『バイオリージョナリズムの挑戦: この星に生き続けるために』、218 pp.、群青社(原著: Desai, Pooran and Riddlestone, Sue, 2002: BIOREGIONAL Solutions: For living on one planet)
エコロジカルフットプリントの削減(環境への負荷の軽減)のための紙のリサイクル、雑木林の利用、綿に代えて麻の利用、地産地消など、英国での取り組みの紹介です。
エコロジカル・フットプリント―地球環境持続のための実践プランニング・ツール」の解題において、和田喜彦・同志社大学助教授は次のように紹介してくれています。
「翻訳がたいへんしっかりしており、多くの方々に推奨したい書物である。」
(新潟大学図書館に寄贈しました。)

塩川伸明、2008: 『民族とネイション: ナショナリズムという難問』、224ページ、岩波新書1156
開発途上国の「開発」やそのための「協力」に関心のある者も、「民族」や「宗教」による対立、或いは今日の世界秩序の前提である「国民国家」とは何かについて考えないわけにはいきません。紛争下にあるようなところでは、「開発」、「協力」どころではないからです。本書は、そのような概念について、解釈の多様性等を前提に一致の納得のできる定義をした上で、「国民」や「国境」の成立、境界の問題、安定と不安定、不安定をもたらす状況について検討し、主な国・地域の状況についての説明も試みています。本書は、「民族」とは何か、「国民」とは何か等についての理解を促すとともに、世界の具体的な民族紛争、宗教紛争について、その原因や状況が理解を促し、更に、そういった紛争の予防や解決について考える機会を提供しています。
著者が認めているとおり、アフリカについての調査・論考がほとんどないことがまだ不十分です。「開発」に関して最も重要な地域なので、我々は、次の本を読むことなどにより、アフリカを含む全世界の状況について補うことが望まれます。古い本ですが、各地域のことをとても良く整理しています。今でも発行されています:
Christopher Clapham, 1985: Third World Politics: An Introduction, 197 pp, University of Wisonsin Press

Amartya Sen, 2005(hard cover)/2006(paper back): Identity and Violence: The Illusion of Destiny (215 pp. Norton. Also available as a Penguin Book)
(2011年に和訳が出ました。)

この本は、「民族」、宗教、国籍、職業、趣味、卒業校、等々の多様なアイデンティティーが同一個人の中にいくつもある事実を指摘し、また、それを個人的、社会的その他の理由によりその時々で選択している事実を指摘しています。つまり、特定の意図を持って特定のアイデンティティーだけに縛ろうとする動きに惑わされることなく、我々は、色々なアイデンティティーを使い分け、多様なアイデンティティーの多様なネットワークを更に強化することにより、生活をより豊かにし、また、紛争を避けるべきであり、また、それができるのです。
宗教によるまとまりを「文明」とし、その上で「文明の対立」といった議論は、「宗教」という一つだけのアイデンティティーで無理矢理世界の人々を分断するという、根本的誤りに基づくものです。

なお、彼が同じことを指摘した2005年7月22日東京(国連大学)開催のWorld Civilization Forumのビデオが次のところにあります。英語の音声に加え、日本語の同時通訳の声も聞けます。なお、外務省は、彼が「文明の衝突」等の紛争を防止するためには「開発」が重要だと話すことを期待した可能性もあるかと思われるのですが、彼は、会議の主題にある「Civilizations」という捉え方を否定すること等、全く異なることを言ったのでした。:
http://c3.unu.edu/unuvideo/index.cfm?fuseaction=event.home&amp;EventID=66


植民地インドのダッカのヒンドゥー教徒の多い地区に生まれ育ったアマルティア・セン(インド国籍)の1944年(11歳)の体験

見知らぬ人が血だらけでよろめきながら庭に入って来て、助けを求め、水を欲しがった。父親は、その人を直ちに病院に運んだが、結局、けがのため亡くなった。

この頃、植民地インドでは、分離独立しようとするイスラム教徒とヒンドゥー教徒の間で殺し合いが続いていた。分離独立を主張する者は、その実現のために、「イスラム教徒」、「ヒンドゥー教徒」というアイデンティティーだけを意識させ、対立をあおっていた。ベンガル地方の者は、宗教が何であろうと、ベンガル文化を共有していたにかかわらず。このカデル・ミアという人物が殺されたのは、イスラム教徒であるという理由だけからだった。

カデル・ミアは、日雇い労働者で、わずかの稼ぎを求めて出かける途中、見知らぬ者にいきなり襲われたのだった。病院に運ばれる車の中で彼が父に語ったところによれば、妻は、この騒乱の中、出かけないようにと頼んだ。しかし、貧しい家族には食糧も底を突き、わずかの稼ぎを求めて家を出るほか無かったのである。

この「イスラム教徒」、「ヒンドゥー教徒」の争いで亡くなった者の多くは、自らを守るすべを持たない貧困者たちだった。彼らは、貧困層という共通のアイデンティティーを持ちながら、宗教というたった一つのアイデンティティーしかないと思い込まされた者の犠牲になったのだった。

(Amartya Sen: Identity and Violence: The Illusion of Destiny, pp. 170-174)

カンベンガ・マリールイズ『空を見上げて
ルワンダの内戦  そして希望』(2010年7月、自費出版)

内戦の経験から平和、教育の重要性などについて、日本の状況と比較しながら語る形で書かれた、非常に貴重な体験談です。ルワンダ内戦が「人種」間の戦いでなかったこと、「人種」自体、植民地支配のために作り出されたものであったことなども語られています。これは、アフリカ研究者が指摘してきたことですが、報道等では無視されていました。それを当事者が語っていることに、大変な重みがあります。更に、日本人にとっては、日本の状況に触れながら語っているところにも大きな意味があります。
目次 (pdf 84 KB)
85ページ、500円。入手については、特定非営利活動法人ルワンダの教育を考える会に問い合わせて下さい。
新潟大学付属図書館に1冊寄贈しました(2010年8月4日)。

Amartya Sen, 2009: The Idea of Justice, 468 pp., Belknap
(2010年7月、Penguin版も出ました。2011年に和訳が出ました。)

人の多様な状況から、理想論で一致するのは難しい。正義論は、そのような理想を論じるのではなく、現実にある見過ごせない不正義(人間としての尊厳が確保されていないような生活など)の除去等を目指すべきであること、ムラ社会の考え方(parochial)でなく、他の世界の人たちからも広く学び、また、他の世界の人たちのことも考えること、制度があればそれで十分なのではなく、それが活用されていること、また、制度で捉えられていない規範を含めて考えるべきであること等々、実際にある見過ごせない不正義をなくすことを目指した正義論を包括的に展開しています。

Rahman, Matsui and Ikemoto, 2009: The Chronically Poor in Rural Bangladesh, 187 pp, Routledge

バングラデシュの農村で代々貧困(必要なカロリーが摂取できていない状態)の人たちが、借金をしたり、なけなしの財産を売ったりしているが、その大半は、食べるものを得るためまたは医者に行くためであることなど、衝撃の事実を、丹念な調査で明らかにしています。実証研究の重みを実感させる書でもあります。但し、ハードカバーのため、定価は160ドル。送料を含め、円価では、ネット上では、amazon.co.ukが最安でした。


永松敏雄『 環境被害のガバナンス―水俣から福島へ』230ページ、成文堂、2012年9月
、本体価格2,600円

1956年に「公式発見」されながら未だに解決しない水俣病を取り上げ、そして、全く同じ対応の繰り返しになってしまっている福島第一原子力発電所の問題を取り上げている公共政策論の学術的かつ実際的な著作。行政、政治、市民の問題について、政策科学の面からのリスク対応の問題を取り上げ、どうして水俣病の問題が未だに解決しないかを明らかにし、結果や配分に対する公正感と、プロセスに関する公正感とが関わることを指摘しています。時間的制約、科学的に不明な事実の混在等のために結果や配分に関しては一定の割り切りをせざるを得ないのが現実であるので、プロセスに関する公正感の確保で乗りきらざるを得ないというのは同感です。特に公務員には必ず読んで欲しいと思います。

Amartya Sen, 2017, Collective Choice and Social Welfare, Expanded Editioin
, Penguin Books, 602 pages
Sen added new texts to his 1970 book, while maintaining the original texts. When most people believed that Arrow's Impossibility Theorem had completed the research of Social Choice, Sen suspected that there should be something beyond it. He then did further research and published the 1970 book. The added texts in this expanded edition disucuss the results of the further research after 1970. Arrow's Theorem shows the limits of certain procedures, especially election. However, election is only one part of the issues of social choice. There are many other crucial issues in social choice.
1970年の本のテキストを維持しつつ、新たなテキストを加えたものです。アローの不可能性の定理が出たことで、社会的選択理論の研究は終わったと多くの人が思った時、センはその先があるはずと思い、研究した結果を1970年にまとめたのでした。今回加えられたテキストは、1970年以来の研究の成果を付け加えたものです。アローの不可能性の定理は、選挙を中心とする手続きの限界を示したものでしたが、しかし、選挙は社会的選択に関する諸課題の一つであり、社会的選択には、そのほかに多数の核心的課題があるのです。

『「きめ方」の論理―社会的決定理論への招待― 』(413ページ、ちくま学芸文庫 2018年。328ページ、東京大学出版会、1980年)

社会的選択論について日本語で包括的に論じた唯一の本。東京大学出版会のものが絶版になっていましたが、2018年、筑摩書房から文庫本として再販されました。このような貴重な本を文庫本にしてくれた筑摩書房に敬意を表します。

(c) MIYATA Haruo, 2000-2020