「開発」とは何か
第二次世界大戦後、植民地が独立して「開発途上国」が世界の国の多数を占めるようになって以降、「開発」についての考え方が展開してきました。
1960年頃までの考え方は次のようなものでした。
しかし、多くの実証研究が行われた結果、1960年代後半になると、開発途上国の多くで経済成長したのに、豊かな人が更に豊かになっただけで、貧しい人は貧しいままであること等が明らかになり、その結果、1960年代終わりから、その反省に立った次のような考え方が出て来ました。
しかし、1980年代に入ると日本を除く先進国は景気後退に悩み、援助に消極的になり、援助を供与する場合も、国家開発計画の策定、経済の自由化等、色々な条件をつけるようになりました。
1990年代に入ると、東西対立を利用して先進国の要求を多少なりともかわしていた開発途上国
も、援助の見返りとして、経済、貿易、先進国からの投資の自由化等、米国、西欧諸国等の主張する政策条件を受け入れざるを得なくなりました。しかし、他方
で、アマルティア・センや国連開発計画(UNDP)の人間開発指数(Human
Development Index)など、 貧富の差、basic human
needs、雇用、working
poor対応の考え方の展開も見られました。
そこで注目されるのは、インド国籍でハーバード大学教授のアマルティア・センの考え方です。彼は、これまでの考え方を統合しつつ「開発」とは何かについて、次のように明らかにしています(ノーベル経済学賞を受賞)。これは、特にマダガスカルのような
後発開発途上国にはよく当てはまると思われます。
自由の拡大は開発の目的であると同時に、開発の手段でもある。
ここで言う自由とは、経済、食糧・栄養、健康、衣服、住まい、安全な飲み水、衛生などの個人に関わるもの、疾病対策、保健・医療制度、教育、雇用、平和・秩序維持、政治的・市民的権利、コミュニティの活動への参加等の社会制度に関わるもの等と、非常に幅広いものです。
そのような「開発」において、個人が自分たちの生活を良くする力が根幹を成す。「貧困」とは、そのような力が奪われた状態である。
ここで言う「個人が自分たちの生活を良くする力」とは、食糧、栄養状態、健康、衛生、住まい、
読み書きなどの教育、自由に情報を得られること、みんなで自由に議論して新しい共通の価値観を形成できること等、非常に幅広いものを含みます。かつ、個人は、援助等の受動体ではなく、生活を良くする主体だとしています。
1990年以後毎年発行されて来た(資金不足のため2007年からは1年おきになるようです。)「人間開発報告書(Human
Development Report)」において、国別の人間開発指数(Human Development
Index)の数値が示されています。この指数は、アマルティア・センの考え方に沿って、個人が自分たちの生活を良くする力を示そうとしています。
しかし、そのような力が特に重要な後発開発途上国では、統計自体があまりないため、そのような国の多くでも統計のある出生時平均余命(平均寿命)、識字率、就学率、1人当たりGDPだけを使い、最低値を0、目標値を1として、その間のどこにあるかを示しています。平均寿命については、最低値を25歳、目標値を85歳としています。識字率と就学率に関しては、0%が最低値、100%が目標値です。1人当たりGDPに関しては、最低値を100ドル、目標値を4万ドルとしています。
そのうち、識字率と就学率については、2:1の割合の重み付けをした上で教育指数としてまとめま
す。就学自体よりは実際に読み書きできることのほうが重要だからと考えられます。また、1人当たりGDPについては、金額が小さいうちはわずかな伸びが大
きな効果を生じ、金額が大きくなると、同じ額の伸びの効果が小さくなるとの考え方から、対数値で示しています。
「人間開発指数」は、以上の指数の平均値です。
図表を含め引用は:
UNDP, 2007: Human
Development Report 2007/2008
人間開発報告書2007/08による2005年時点での数値は、177か国について示されています(アフガニスタン、イラク、北朝鮮、ソマリア他については、計算できるだけの統計がありませんでした。)。
そのうち160位以下は次のとおりです。
人間開発指数がほぼ同じでも、国によって、平均寿命が長い国、短い国、識字率が高い国、低い国、1人当たりGDPが高い国、低い国の違いがかなりあることがわかります。また、低位の国の多くが、植民地支配による撹乱(人種、宗教等の強調によって植民地住民を分断する支配、植民地管理境界を国境として独立せざるを得なかった実態等)をひどく受けたアフリカの国であることもわかります。